イベント・メイキング08 の記事一覧
2008.12.01 フィールド・オブ・ドリームス 10
2008.11.17 フィールド・オブ・ドリームス 9
2008.11.15 フィールド・オブ・ドリームス 8
2008.11.13 フィールド・オブ・ドリームス 7
2008.10.24 フィールド・オブ・ドリームス 6
2008.11.17 フィールド・オブ・ドリームス 9
2008.11.15 フィールド・オブ・ドリームス 8
2008.11.13 フィールド・オブ・ドリームス 7
2008.10.24 フィールド・オブ・ドリームス 6
フィールド・オブ・ドリームス 10
2008.12.01
さて、イベントは、本格的な準備の段階に入っていきます。
今回、志村さんの呼びかけで集まってくれるのは、JBL選手3名、慶應義塾大学の選手3名、(のちに青山学院大、国士舘大より2名)、皆さん現役のプレーヤーで、その合間にイベントに参加してくれるわけですから、
絶対に、ケガだけはさせられない、という気持がありました。
もちろん、相手チームのDOPEのみなさん、それから、見に来てくださる人たちにも、ケガや事故は、あってはなりません。
このことを強く意識させてくれた人物が、みなみ接骨院院長の、鈴木美波さんでした。
たまたま同じ松戸市内に接骨院を開設してらして、Bさんを通じてご縁のできた方。
イベントが具体化する前から何度かお会いして、そのときから私たちの意志をお伝えしていたので、開催が決まったときにはすぐに、スタッフとしての協力を承諾してくださいました。
また心強いことに、このみなみさんという人は、実は、「運営」のスペシャリストでもあったんです。
バスケットのプレー経験もありながら、大学時代には、学連(関東女子学生バスケットボール連盟)の委員長として、大会運営を取り仕切る立場にいた人でした。
(・・・ってブログに書いていいですか、と先日うかがったところ、『昔の話です!(笑)』って言われましたが)
イベント開催が刻一刻と近づくある夜、診療時間が終わるのを待って、近くのファミレスで打ち合わせをさせていただいたとき、
ひとつは、当日、ケガや事故があったときのため、ブースを設置し待機してもらうこと
をお願いし、その点についてあれこれ話し合ったのですが、
もうひとつ別の点で、つまり、運営に関することで、多大なアドバイスをいただきました。
・・・それはもう、すごいスピードで、
ノートに書き取りながら私が途中で、うわーっ、ちょっと待ってくださーい!とあわてふためくくらい(笑)、たくさんの注意事項があがりました。
会場までのアクセス、駐車場での案内と警備、受付の仕事、動線を明確にするための掲示物、靴を履き替えるときの対処、スリッパの準備は? もし雨が降ったら? 傘置き場や、ゴミ箱の設置、トイレの見回りも・・・
もうね、ああ、そういわれればそうだ、と思うことが次から次へ、
もし車いすの方が見えたら、どの経路を使うか、とか
緊急時や、それぞれの部署でイレギュラーが発生した時の連絡系統をどうするか、とか
一気に。
すごいでしょ?
さっきまで、診察してた人が、ですよ(笑)
試合を企画したわけですから、試合のための準備(用具のことなど)は私も当然思い浮かぶのですが、ここまで細かくは、絶対考え付かなかったと思います。
このとき、みなみさんから最も強く言われたことは、
水分の確保でした。
6月といえば、湿度と温度の上昇から、熱中症が最も心配される時期で、
会場が普通の公立高校の体育館で、観客の方が大勢見込まれる場合、
もうそれだけで、人の熱気で引き起こされる可能性が高いと
選手の人ももちろんですが、観客の人にも必ず、
水分の確保が必要です、と言われました。
私は、その責任の重さから、あらためて、大変なことを実行しようとしているんだと感じました。
もしも、
何か手違いがあったり、急な変更を余儀なくされたら。
試合中に急病や、大きな事故が発生したら。
もしも大地震が起こったら?
そのときは、どうしたらいいか。
どうしよう・・・では済まされません。
それでも、
やるんですよね。
人の手を借りて。
できる、と思うから、やるんです。
だって、
ここまで書いただけでも、どれだけの人が、その意志を表明して、参戦しようとしてくれているか。
その人たちの力が、後押ししてくれるんですよね。
かつて前例のない、この企画に。
イベントでは、試合に先立ち、クリニックを連動させることになっていました。
対象は、会場として使わせていただく高校の、バスケットボール部のみなさんと、私がお手伝いしている中学の生徒たち。(本当はミニバスの子たちも・・と思ったのですが、年代の差が広くなりすぎるので断念)
そのこともあって、仙台に戻られている志村さんと何度かメールのやりとりをさせていただきました。
その中で幾度となく志村さんの方から、『イベントを成功させましょう』という言葉があって、そのたびに、勇気づけられる私でした。
今回、志村さんの呼びかけで集まってくれるのは、JBL選手3名、慶應義塾大学の選手3名、(のちに青山学院大、国士舘大より2名)、皆さん現役のプレーヤーで、その合間にイベントに参加してくれるわけですから、
絶対に、ケガだけはさせられない、という気持がありました。
もちろん、相手チームのDOPEのみなさん、それから、見に来てくださる人たちにも、ケガや事故は、あってはなりません。
このことを強く意識させてくれた人物が、みなみ接骨院院長の、鈴木美波さんでした。
たまたま同じ松戸市内に接骨院を開設してらして、Bさんを通じてご縁のできた方。
イベントが具体化する前から何度かお会いして、そのときから私たちの意志をお伝えしていたので、開催が決まったときにはすぐに、スタッフとしての協力を承諾してくださいました。
また心強いことに、このみなみさんという人は、実は、「運営」のスペシャリストでもあったんです。
バスケットのプレー経験もありながら、大学時代には、学連(関東女子学生バスケットボール連盟)の委員長として、大会運営を取り仕切る立場にいた人でした。
(・・・ってブログに書いていいですか、と先日うかがったところ、『昔の話です!(笑)』って言われましたが)
イベント開催が刻一刻と近づくある夜、診療時間が終わるのを待って、近くのファミレスで打ち合わせをさせていただいたとき、
ひとつは、当日、ケガや事故があったときのため、ブースを設置し待機してもらうこと
をお願いし、その点についてあれこれ話し合ったのですが、
もうひとつ別の点で、つまり、運営に関することで、多大なアドバイスをいただきました。
・・・それはもう、すごいスピードで、
ノートに書き取りながら私が途中で、うわーっ、ちょっと待ってくださーい!とあわてふためくくらい(笑)、たくさんの注意事項があがりました。
会場までのアクセス、駐車場での案内と警備、受付の仕事、動線を明確にするための掲示物、靴を履き替えるときの対処、スリッパの準備は? もし雨が降ったら? 傘置き場や、ゴミ箱の設置、トイレの見回りも・・・
もうね、ああ、そういわれればそうだ、と思うことが次から次へ、
もし車いすの方が見えたら、どの経路を使うか、とか
緊急時や、それぞれの部署でイレギュラーが発生した時の連絡系統をどうするか、とか
一気に。
すごいでしょ?
さっきまで、診察してた人が、ですよ(笑)
試合を企画したわけですから、試合のための準備(用具のことなど)は私も当然思い浮かぶのですが、ここまで細かくは、絶対考え付かなかったと思います。
このとき、みなみさんから最も強く言われたことは、
水分の確保でした。
6月といえば、湿度と温度の上昇から、熱中症が最も心配される時期で、
会場が普通の公立高校の体育館で、観客の方が大勢見込まれる場合、
もうそれだけで、人の熱気で引き起こされる可能性が高いと
選手の人ももちろんですが、観客の人にも必ず、
水分の確保が必要です、と言われました。
私は、その責任の重さから、あらためて、大変なことを実行しようとしているんだと感じました。
もしも、
何か手違いがあったり、急な変更を余儀なくされたら。
試合中に急病や、大きな事故が発生したら。
もしも大地震が起こったら?
そのときは、どうしたらいいか。
どうしよう・・・では済まされません。
それでも、
やるんですよね。
人の手を借りて。
できる、と思うから、やるんです。
だって、
ここまで書いただけでも、どれだけの人が、その意志を表明して、参戦しようとしてくれているか。
その人たちの力が、後押ししてくれるんですよね。
かつて前例のない、この企画に。
イベントでは、試合に先立ち、クリニックを連動させることになっていました。
対象は、会場として使わせていただく高校の、バスケットボール部のみなさんと、私がお手伝いしている中学の生徒たち。(本当はミニバスの子たちも・・と思ったのですが、年代の差が広くなりすぎるので断念)
そのこともあって、仙台に戻られている志村さんと何度かメールのやりとりをさせていただきました。
その中で幾度となく志村さんの方から、『イベントを成功させましょう』という言葉があって、そのたびに、勇気づけられる私でした。
フィールド・オブ・ドリームス 9
2008.11.17
試合をするにあたって肝心な、「相手チーム」をどうするか。
これは、二転三転しました。
どこでもいいってわけじゃなかった。
年代的には、社会人のクラブチームかな、と思ってました。
その中で、強いところ(笑)
ふと想像するとね、
片方がもう、めっちゃ最強なドリームチームでしょう?
そこと対戦するなんてあなた。
しかもです。
50・・いえ(笑)、1000人は入るかもしれない観客のみなさんの前で戦うんですよ?
(@_@)
考えただけでも怖いと思うんですけど・・・。
どうなんですか?
特に男の方(笑)
却って燃えたりするのかな。
やったるぜ!って思うもんでしょうか。
・・・わかりません。
・・・わかりませんが、一般的に考えても、強い上に、それなりの「度胸」のあるチームじゃないとだめだな、というのはまず思いました。
その上で、
私にとっては、ここが一番重要な条件だったんですけど、
「バスケットに対して誠実で、最後まで一生懸命プレーすること」
それができるチームじゃないと・・・
それをすごく思ってました。
社会人のチームだから、仕事をしながらバスケットをしている人たちの集まりなわけで、そういうチームの中には、日ごろのストレス解消を目的としてバスケをしている人たちもいると思います。私も、学生や社会人の人を中心としたクラブを運営しているので、それはそれで、すごく必要なことだな、というのも自分で思っていて、その空間の中では、疲れを調整しながらプレーしたり、気の合う仲間どうし、笑い声の中でプレーする、というのも、あっていいと思うんですね。
あっていいと思うんですけど、
今回はなし、です(笑)
大人だけど、一生懸命やる。
たとえ途中で勝負がついたとしても・・・
そこのところのこう・・・なんていうのか、「覚悟」をしてくれるチームじゃないと、って、思いました。
そうしないと、子どもに見せられないなって。
特に、これが記念すべき第1回になるわけですから、なおさら、チーム選びは慎重になりました。
・・・といっても、思いつくチームも限られていたんですけどね(笑)
最初にお声をかけていたのは、隣り町を中心に活動するチームでした。
ストリートバスケの世界では、知る人ぞ知るチームで、強さと度胸においては、文句なしだった。
隣り町とはいえ地元だし、地元なら、子どもたちと接する機会もあるだろうしね。
なんかこう、いいじゃないですか、
すっごい選手が来てくれて、すっごいプレーも見れるけど、
その相手と戦っているのが、自分の知ってる人、とか、知ってるミニや中学の卒業生だよとか、そういうの。
そういうのも、すっごくいいでしょ?
・・・なので、もう条件だらけになりますが、「地元のチーム」というのも、選択肢としてあってね、そういう意味でも申し分ないチームだったんですが、運悪く(といってはなんですが)、そのイベントと同じ日が、国体予選を兼ねた県民大会重なっていることがわかり、そのチームの参戦は断念することになりました。
地元、という条件を考慮して、県内の大学のチームにしようか、という考えもありましたが、こちらも大事な講習会が重なっていて断念。
行き着いたのが、今回の『DOPE』でした。
「強さ」「度胸」「一生懸命さ」では先のチームと引けをとらない存在なので、もともと候補に思っていたのですが、地元じゃなかった点で、あとになっていました。
チームの所在は、川向こう(笑)の東京都足立区です。
(千葉県松戸市は県境にあって、橋を渡ると東京都なんです)
練習場所が、これまた川向こうのさいたま県三郷市の体育館で、うちから車で15分のところ。
たまたま息子が知人の方にお世話になり、チームにも入れてもらっていたので、私もときどきのぞきに行ってたんです。
もうその練習内容と言ったら・・・。
「なにもそこまでしなくても」というくらいの中身です(笑)
(DOPEについては、創刊号で取り上げさせていただきました)
最初に、代表のヒデさん、キャプテンの今井さんに相談したところ快諾していただき、後日あらためて、取材を兼ねてBさんと一緒に練習見学にいきました。
体育館の扉の手前に靴置き場があって、そこにチームの皆さんの外靴が並んでいるのですが、それがまた・・・、まるで見えないマス目が引いてあるかのように、ピシーッと並べられていましてね、(もちろん、靴の先は出て行く方向に向けて)、Bさんが、「社会人のチームにしては珍しいですよ」と言うんです。
この言葉をもらって私も、このチームでだいじょうぶだな、ということを
確認することができました。
これは、二転三転しました。
どこでもいいってわけじゃなかった。
年代的には、社会人のクラブチームかな、と思ってました。
その中で、強いところ(笑)
ふと想像するとね、
片方がもう、めっちゃ最強なドリームチームでしょう?
そこと対戦するなんてあなた。
しかもです。
50・・いえ(笑)、1000人は入るかもしれない観客のみなさんの前で戦うんですよ?
(@_@)
考えただけでも怖いと思うんですけど・・・。
どうなんですか?
特に男の方(笑)
却って燃えたりするのかな。
やったるぜ!って思うもんでしょうか。
・・・わかりません。
・・・わかりませんが、一般的に考えても、強い上に、それなりの「度胸」のあるチームじゃないとだめだな、というのはまず思いました。
その上で、
私にとっては、ここが一番重要な条件だったんですけど、
「バスケットに対して誠実で、最後まで一生懸命プレーすること」
それができるチームじゃないと・・・
それをすごく思ってました。
社会人のチームだから、仕事をしながらバスケットをしている人たちの集まりなわけで、そういうチームの中には、日ごろのストレス解消を目的としてバスケをしている人たちもいると思います。私も、学生や社会人の人を中心としたクラブを運営しているので、それはそれで、すごく必要なことだな、というのも自分で思っていて、その空間の中では、疲れを調整しながらプレーしたり、気の合う仲間どうし、笑い声の中でプレーする、というのも、あっていいと思うんですね。
あっていいと思うんですけど、
今回はなし、です(笑)
大人だけど、一生懸命やる。
たとえ途中で勝負がついたとしても・・・
そこのところのこう・・・なんていうのか、「覚悟」をしてくれるチームじゃないと、って、思いました。
そうしないと、子どもに見せられないなって。
特に、これが記念すべき第1回になるわけですから、なおさら、チーム選びは慎重になりました。
・・・といっても、思いつくチームも限られていたんですけどね(笑)
最初にお声をかけていたのは、隣り町を中心に活動するチームでした。
ストリートバスケの世界では、知る人ぞ知るチームで、強さと度胸においては、文句なしだった。
隣り町とはいえ地元だし、地元なら、子どもたちと接する機会もあるだろうしね。
なんかこう、いいじゃないですか、
すっごい選手が来てくれて、すっごいプレーも見れるけど、
その相手と戦っているのが、自分の知ってる人、とか、知ってるミニや中学の卒業生だよとか、そういうの。
そういうのも、すっごくいいでしょ?
・・・なので、もう条件だらけになりますが、「地元のチーム」というのも、選択肢としてあってね、そういう意味でも申し分ないチームだったんですが、運悪く(といってはなんですが)、そのイベントと同じ日が、国体予選を兼ねた県民大会重なっていることがわかり、そのチームの参戦は断念することになりました。
地元、という条件を考慮して、県内の大学のチームにしようか、という考えもありましたが、こちらも大事な講習会が重なっていて断念。
行き着いたのが、今回の『DOPE』でした。
「強さ」「度胸」「一生懸命さ」では先のチームと引けをとらない存在なので、もともと候補に思っていたのですが、地元じゃなかった点で、あとになっていました。
チームの所在は、川向こう(笑)の東京都足立区です。
(千葉県松戸市は県境にあって、橋を渡ると東京都なんです)
練習場所が、これまた川向こうのさいたま県三郷市の体育館で、うちから車で15分のところ。
たまたま息子が知人の方にお世話になり、チームにも入れてもらっていたので、私もときどきのぞきに行ってたんです。
もうその練習内容と言ったら・・・。
「なにもそこまでしなくても」というくらいの中身です(笑)
(DOPEについては、創刊号で取り上げさせていただきました)
最初に、代表のヒデさん、キャプテンの今井さんに相談したところ快諾していただき、後日あらためて、取材を兼ねてBさんと一緒に練習見学にいきました。
体育館の扉の手前に靴置き場があって、そこにチームの皆さんの外靴が並んでいるのですが、それがまた・・・、まるで見えないマス目が引いてあるかのように、ピシーッと並べられていましてね、(もちろん、靴の先は出て行く方向に向けて)、Bさんが、「社会人のチームにしては珍しいですよ」と言うんです。
この言葉をもらって私も、このチームでだいじょうぶだな、ということを
確認することができました。
フィールド・オブ・ドリームス 8
2008.11.15
6月29日に高校の体育館を借りてイベントをすること。
イベントというのはつまり「試合」で、
試合をする片方のチームは、志村さんと、志村さんが呼びかけてくれた仲間の方々。
そこまでがまず確定していて、
あと私がすることは、
そのことに関する報告と告知と準備でした。
「プレーヤー」としての年数がないに等しい分、バスケに関わる年月もそう長い方ではない私ですが、それでも、ママさん連盟のチームにいた期間や、現在につづく指導の分野で培った土壌や人のつながり、というのは少なからずあって、そのことで、いろいろな人にお世話になっていますからね。
報告は、とても重要な、第一の任務でした。
ここまでの、メイキングのお話でおわかりだと思いますが、
このイベントは、「私」という個人の発想から始まったものです。
指導を始めたばかりの頃の思いから始まって、ずっと心に温めていたものをBさんが拾いあげてくれた形で、その案に対し、会場を貸してくださる高校の先生の存在があった、というだけのことで、
あの・・・、
なんていったらいいのかな、
それはとても、ささやかなことだったんです。
最初は(笑)
くりかえしの話になりますが、
私の、一番最初の発想は、「うちの子たちに見せたい」
というだけだった。
うちの子、というのはつまり、ミニバスや、中学の子たちや、クラブで関わっている人たち、です。
ほんとに、そのくらいの感じ、だったんですよ。
余談になりますが、
Bさんと会場の先生とで1回目の打ち合わせをしたとき、観客動員の見込みについて話が及んで、
「何人くらい予想してますか?」とBさんが言うので、私、せっせとこどもの数を計算して、
「50人・・・くらい?」と答えてしまい、
ふたりの目がテンになりました(笑)
ふたりの頭の中では、(1000人以上の人がどっと押し寄せたらどうしよう…)というものだったそうで、ケタが違った。
その頃にはたぶん、このブログも始まっていたかも。
ブログの力を知らない私でした。
・・・実際試合の時は立ち見のかたもいらして、この1日のトータルはのべ1000人くらいかな?
おかげさまで、「うちの子たち」のほか、たくさんの人たちに来ていただくことができましたが(笑)
話を戻しますが、
そういうわけで、何が言いたいかというと、
この企画がその・・どこそこの協会とか、連盟とか、そういった組織からスタートしたものではない、ということなんです。
これって、みなさん、どんな風に思われますか?
これを読んでくださっているお若い方の中には、もしかしたら難しい話、と思われるかもしれませんが、ちょっとつづけさせてくださいね。
何か、大きなことを動かそうとするとき、組織の力というのは、とても重要です。
ひとりではできないことが、組織ならできるときがある。
なぜできるかというと、組織というものが、信頼を前提として成り立っているからです。
これを読んでくださっている年輩の方には、充分おわかりのことと思いますが、
要するに、組織の名前なしに何か大きなことをするには、相応の信頼を得るための、説明や行動が必要だということです。
「報告」はその意味で、大変重要でした。
なぜなら、私はこの企画を、継続させたいと思っていたからです。
たった1回の、まぼろしのイベントではなくて、毎年恒例の企画です。
毎年どこかの時期に、どこかの会場でこの会が開催されて、そのことをみんながわかっていて、「また来年ね」って思えるの。
来年は、どんな試合を見れるのかな、って。
楽しみにしながら、その日を待つんです。
それって、すごく、
楽しいことでしょう?
「楽しみ」の中にバスケットがあって、「楽しみ」があるから、生きていける。
そういうの、やれたらいいな、って思って。
だってさ、
私が今教えているミニバスの子は、やがて中学生に、
私が今教えている中学生は、やがて高校生に、
高校生は、大学に、社会人に、やがて大人に。
ずっとこの縁がつづくといいな、って思うからね。
バスケで、つながっていたいんですよね。
そういうこともあって。
一方で、
また難しい話になっちゃいますが、
これがもしかしたら、「活性化」とか、「普及」につながるんじゃないかな、と
僭越ながら、思ったものですから。
話、長くなりましたが、
そういうことで、私がかつて(もちろん現在も)お世話になった方と、ほかに、この方にはお知らせしなくては、と思われる方には、なぜそれをするかの根拠を記した要項を手に、ご報告にあがりました。
膨大な準備の合間に行なったため、中には失礼を承知でお手紙にてご報告させていただいた方もいるし、もうほんとに、恐縮ながらお伝えしきれなかった方もいます。
継続を糧に、今後もお伝えしていきたいと思っています。
ご報告させていただいた中に、県の強化を図る立場にいらっしゃる方にお話させていただくチャンスがありました。ここでも私は緊張しながら(笑)、自分の素性とその主旨を必死に語ったのですが、その方は、話を充分に聞いて理解を示してくださったうえで、「個人だからできることもある」という話をしてくださいました。瞬発力という意味で。
これには勇気づけられました。
ブログでは、報告というより、「お知らせ」するのに精一杯で、この辺りの詳しいお話ができませんでした。
なので、突然の告知に、「これってなんなの?」と思われた方もいるかもしれません。
何分、あの頃は超×30倍くらい(30に根拠はありませんが笑)忙しかったもので・・・。
そんなこんなで、このシリーズ、『フィールド・オブ・ドリームス』はもう少しつづきます。
なんか字ばっかりで・・・すみません。
実は、Bさんにお尻を叩かれながら書いてます(ウソ)
みなさんにとって、つまらない話になっていないかな、と心配しながら。
イベントのあとで、ごく内輪だけの懇親会がありました。
継続について、最初にお会いした時に志村さんにはすでに承諾をいただいていて、
なごやかな会の中では、次に誰を呼ぶかの話になりました。
その候補の話題にもなった方に、先日お会いして、お話をうかがってきたんですよ。
それが次回の、冬号の特集になります。
「あの日」があったから、つながっているものもあるんですよね。
なのでどうぞもう少し、おつきあいください。
イベントというのはつまり「試合」で、
試合をする片方のチームは、志村さんと、志村さんが呼びかけてくれた仲間の方々。
そこまでがまず確定していて、
あと私がすることは、
そのことに関する報告と告知と準備でした。
「プレーヤー」としての年数がないに等しい分、バスケに関わる年月もそう長い方ではない私ですが、それでも、ママさん連盟のチームにいた期間や、現在につづく指導の分野で培った土壌や人のつながり、というのは少なからずあって、そのことで、いろいろな人にお世話になっていますからね。
報告は、とても重要な、第一の任務でした。
ここまでの、メイキングのお話でおわかりだと思いますが、
このイベントは、「私」という個人の発想から始まったものです。
指導を始めたばかりの頃の思いから始まって、ずっと心に温めていたものをBさんが拾いあげてくれた形で、その案に対し、会場を貸してくださる高校の先生の存在があった、というだけのことで、
あの・・・、
なんていったらいいのかな、
それはとても、ささやかなことだったんです。
最初は(笑)
くりかえしの話になりますが、
私の、一番最初の発想は、「うちの子たちに見せたい」
というだけだった。
うちの子、というのはつまり、ミニバスや、中学の子たちや、クラブで関わっている人たち、です。
ほんとに、そのくらいの感じ、だったんですよ。
余談になりますが、
Bさんと会場の先生とで1回目の打ち合わせをしたとき、観客動員の見込みについて話が及んで、
「何人くらい予想してますか?」とBさんが言うので、私、せっせとこどもの数を計算して、
「50人・・・くらい?」と答えてしまい、
ふたりの目がテンになりました(笑)
ふたりの頭の中では、(1000人以上の人がどっと押し寄せたらどうしよう…)というものだったそうで、ケタが違った。
その頃にはたぶん、このブログも始まっていたかも。
ブログの力を知らない私でした。
・・・実際試合の時は立ち見のかたもいらして、この1日のトータルはのべ1000人くらいかな?
おかげさまで、「うちの子たち」のほか、たくさんの人たちに来ていただくことができましたが(笑)
話を戻しますが、
そういうわけで、何が言いたいかというと、
この企画がその・・どこそこの協会とか、連盟とか、そういった組織からスタートしたものではない、ということなんです。
これって、みなさん、どんな風に思われますか?
これを読んでくださっているお若い方の中には、もしかしたら難しい話、と思われるかもしれませんが、ちょっとつづけさせてくださいね。
何か、大きなことを動かそうとするとき、組織の力というのは、とても重要です。
ひとりではできないことが、組織ならできるときがある。
なぜできるかというと、組織というものが、信頼を前提として成り立っているからです。
これを読んでくださっている年輩の方には、充分おわかりのことと思いますが、
要するに、組織の名前なしに何か大きなことをするには、相応の信頼を得るための、説明や行動が必要だということです。
「報告」はその意味で、大変重要でした。
なぜなら、私はこの企画を、継続させたいと思っていたからです。
たった1回の、まぼろしのイベントではなくて、毎年恒例の企画です。
毎年どこかの時期に、どこかの会場でこの会が開催されて、そのことをみんながわかっていて、「また来年ね」って思えるの。
来年は、どんな試合を見れるのかな、って。
楽しみにしながら、その日を待つんです。
それって、すごく、
楽しいことでしょう?
「楽しみ」の中にバスケットがあって、「楽しみ」があるから、生きていける。
そういうの、やれたらいいな、って思って。
だってさ、
私が今教えているミニバスの子は、やがて中学生に、
私が今教えている中学生は、やがて高校生に、
高校生は、大学に、社会人に、やがて大人に。
ずっとこの縁がつづくといいな、って思うからね。
バスケで、つながっていたいんですよね。
そういうこともあって。
一方で、
また難しい話になっちゃいますが、
これがもしかしたら、「活性化」とか、「普及」につながるんじゃないかな、と
僭越ながら、思ったものですから。
話、長くなりましたが、
そういうことで、私がかつて(もちろん現在も)お世話になった方と、ほかに、この方にはお知らせしなくては、と思われる方には、なぜそれをするかの根拠を記した要項を手に、ご報告にあがりました。
膨大な準備の合間に行なったため、中には失礼を承知でお手紙にてご報告させていただいた方もいるし、もうほんとに、恐縮ながらお伝えしきれなかった方もいます。
継続を糧に、今後もお伝えしていきたいと思っています。
ご報告させていただいた中に、県の強化を図る立場にいらっしゃる方にお話させていただくチャンスがありました。ここでも私は緊張しながら(笑)、自分の素性とその主旨を必死に語ったのですが、その方は、話を充分に聞いて理解を示してくださったうえで、「個人だからできることもある」という話をしてくださいました。瞬発力という意味で。
これには勇気づけられました。
ブログでは、報告というより、「お知らせ」するのに精一杯で、この辺りの詳しいお話ができませんでした。
なので、突然の告知に、「これってなんなの?」と思われた方もいるかもしれません。
何分、あの頃は超×30倍くらい(30に根拠はありませんが笑)忙しかったもので・・・。
そんなこんなで、このシリーズ、『フィールド・オブ・ドリームス』はもう少しつづきます。
なんか字ばっかりで・・・すみません。
実は、Bさんにお尻を叩かれながら書いてます(ウソ)
みなさんにとって、つまらない話になっていないかな、と心配しながら。
イベントのあとで、ごく内輪だけの懇親会がありました。
継続について、最初にお会いした時に志村さんにはすでに承諾をいただいていて、
なごやかな会の中では、次に誰を呼ぶかの話になりました。
その候補の話題にもなった方に、先日お会いして、お話をうかがってきたんですよ。
それが次回の、冬号の特集になります。
「あの日」があったから、つながっているものもあるんですよね。
なのでどうぞもう少し、おつきあいください。
フィールド・オブ・ドリームス 7
2008.11.13
つばめグリルで初めて会って、私の素性とイベントの主旨をお話したのが5月の末です。
イベントは6月29日。
この間の1ヶ月は、まさに怒涛の1ヶ月となりました。
Bさんは本業の記者の仕事があって、私はミニバスの指導と中学のお手伝い。その合間を縫っての準備です。
私はこれまでの間、この企画について、そう多くの人に話してはいませんでした。
・・・だって。ねぇ。
自分でも半信半疑だったんですから。
あの志村選手が、試合をしてくれるっていうんですよ?
私の住んでいる町で。
私の望む形で。
そんなの、夢のような話でしょう?
でも、その「夢」が、急激に、現実になろうとしていました。
最初に報告したのが、お手伝いしている中学の顧問の先生。
この企画について、プランの段階からお伝えしていた数少ない人のうちのひとりです。
私が中学に指導に行き始めたのは去年の3月のことなんですが、翌4月に先生が赴任され、一緒にやらせていただくことになりました。
話はさかのぼりますが、
(たしか、このブログの最初の方にも書いたと思いますが、)
私が成り行きとはいえ初めて中学の外部コーチをしたのが、7年前のことです。
指導者としての何もない状態で飛び込んでしまってね、そこで初めて、ルーズボールの大切さを知るんですね。
当時高校3年生で、一緒に教えてくれていた玉城くん(のちのTAMAです。フリースタイルの)に、「ルーズボールって、どうやって教えるの?」と聞いたほどの無知な私で、イメージは頭の中にあるのに、それが教えられないで、自分の未熟さが、はがゆくてね。
一方で、それを体現してみせる選手が、現実にいた。
志村雄彦という名前の選手でした。
その時の外部コーチは2年で終わりましたが、それより少し前から平行して、ミニバスの指導も今につづいて、少しは経験を積んで、少しは指導者らしくなったかなと思う私ですが、
教えるにあたって、実感として思っているのは、
「見せたほうが早い」
ということです。
言葉でどんなに丁寧に説明するより、見せちゃった方が早い。
そのことが自分の観点としてあって、
再び、バスケットの指導者として中学生と接するチャンスをもらっていてね、
言ってみれば、7年越し、とも言えるかしら。
だから、うれしかったです。
見せてあげられる、って思って。
顧問の先生は、驚いてました。
ですよね、って私も思った(笑)
先生には、当日の試合の審判をしてください、とお願いしました。
私の知っている人たちに、本物を見せたいと思って企画した試合だから、
プレーの中の、遊びの延長のような姿勢や、手抜きや、遠慮は、絶対に嫌だったんです。
「試合」として、きちんと成立させたかった。
だから最初から、審判は公認の人、と決めてました。
先生が資格のある方で、ラッキーだった。
もうひとりの審判の方も探してもらうようお願いしました。
このことは、私にとって、すごく心強いことでもありました。
試合をするにあたって、審判というのは、とても大事な存在でありながら、探すとなると大変なことです。ましてや、このイベントがどういうものであるか、それを伝えたうえで、了解してくれる人を探すわけですから・・・。
誰でも引き受けてくれる、というものではない、と思ってました。
でも、見つけてくれた。
紹介してもらって、あらためてお電話でお願いしたところ、
こちらこそ、と、こんな試合を吹かせてもらうのも、滅多にない機会なので、
と言っていただきました。
うれしかったです。
あらためて言いますが、
たった一ヶ月の、短期決戦だったんです。
私には、
人に伝え、人を呼ぶ仕事が待ち受けていました。
「夢のようなこと」を、現実にするための。
もう、ね。
信じるしかなかったです。
「人」というものの力を。
イベントは6月29日。
この間の1ヶ月は、まさに怒涛の1ヶ月となりました。
Bさんは本業の記者の仕事があって、私はミニバスの指導と中学のお手伝い。その合間を縫っての準備です。
私はこれまでの間、この企画について、そう多くの人に話してはいませんでした。
・・・だって。ねぇ。
自分でも半信半疑だったんですから。
あの志村選手が、試合をしてくれるっていうんですよ?
私の住んでいる町で。
私の望む形で。
そんなの、夢のような話でしょう?
でも、その「夢」が、急激に、現実になろうとしていました。
最初に報告したのが、お手伝いしている中学の顧問の先生。
この企画について、プランの段階からお伝えしていた数少ない人のうちのひとりです。
私が中学に指導に行き始めたのは去年の3月のことなんですが、翌4月に先生が赴任され、一緒にやらせていただくことになりました。
話はさかのぼりますが、
(たしか、このブログの最初の方にも書いたと思いますが、)
私が成り行きとはいえ初めて中学の外部コーチをしたのが、7年前のことです。
指導者としての何もない状態で飛び込んでしまってね、そこで初めて、ルーズボールの大切さを知るんですね。
当時高校3年生で、一緒に教えてくれていた玉城くん(のちのTAMAです。フリースタイルの)に、「ルーズボールって、どうやって教えるの?」と聞いたほどの無知な私で、イメージは頭の中にあるのに、それが教えられないで、自分の未熟さが、はがゆくてね。
一方で、それを体現してみせる選手が、現実にいた。
志村雄彦という名前の選手でした。
その時の外部コーチは2年で終わりましたが、それより少し前から平行して、ミニバスの指導も今につづいて、少しは経験を積んで、少しは指導者らしくなったかなと思う私ですが、
教えるにあたって、実感として思っているのは、
「見せたほうが早い」
ということです。
言葉でどんなに丁寧に説明するより、見せちゃった方が早い。
そのことが自分の観点としてあって、
再び、バスケットの指導者として中学生と接するチャンスをもらっていてね、
言ってみれば、7年越し、とも言えるかしら。
だから、うれしかったです。
見せてあげられる、って思って。
顧問の先生は、驚いてました。
ですよね、って私も思った(笑)
先生には、当日の試合の審判をしてください、とお願いしました。
私の知っている人たちに、本物を見せたいと思って企画した試合だから、
プレーの中の、遊びの延長のような姿勢や、手抜きや、遠慮は、絶対に嫌だったんです。
「試合」として、きちんと成立させたかった。
だから最初から、審判は公認の人、と決めてました。
先生が資格のある方で、ラッキーだった。
もうひとりの審判の方も探してもらうようお願いしました。
このことは、私にとって、すごく心強いことでもありました。
試合をするにあたって、審判というのは、とても大事な存在でありながら、探すとなると大変なことです。ましてや、このイベントがどういうものであるか、それを伝えたうえで、了解してくれる人を探すわけですから・・・。
誰でも引き受けてくれる、というものではない、と思ってました。
でも、見つけてくれた。
紹介してもらって、あらためてお電話でお願いしたところ、
こちらこそ、と、こんな試合を吹かせてもらうのも、滅多にない機会なので、
と言っていただきました。
うれしかったです。
あらためて言いますが、
たった一ヶ月の、短期決戦だったんです。
私には、
人に伝え、人を呼ぶ仕事が待ち受けていました。
「夢のようなこと」を、現実にするための。
もう、ね。
信じるしかなかったです。
「人」というものの力を。
フィールド・オブ・ドリームス 6
2008.10.24
開幕・・・しましたね。
bj も、JBLも。
私この前、たまたま部活がオフになったので、急遽関東大学リーグの最終日を見に行ってまいりました。
土日はずっと忙しかったので、やっと行けた感じです。
イベントに参戦してくれた学生の方々も、みなさんご活躍で、
柱の影から、じゃない(笑) 観戦席の片隅で、その姿を拝見することができました。
慶應の監督先生にも、ごあいさつをさせていただいて。
・・・すべては、
あの時からだったんですよね。
つばめグリルでお話させていただいたときから。
話を続けますね。
イベントの主旨をお話し、お返事をいただいたあとも、
Bさんが来るまでの少しの間、いろいろとお話させていただきました。
ちょうど前日に、仙台89ERSとの契約が決まったばかりで、
何かこう、それだけで、関係のない私まで、心が新たになるような、
もうなんだか無条件に、応援したくなるような、そんな気分でした。
きっと、いろいろな思いをしながら、
進んでいくんですよね。
人間って。
人にはそれぞれ、
見えない力が備わっていて、
この人にはこの人に、あの人にはあの人に、と
役割があるんだと思います。
目の前にいる人は、
それが充分にわかっているみたいでした。
自分が何をするべき人間かということ。
垣根を取り外したいって言ってた。
それができるとしたら、自分かもしれないって。
そのうちに、Bさんも到着して、話は佳境に、
Bさんと志村さんにはわかっていて、
私にはわからない話も多かったのですが(笑)、
佐藤健介さんのお名前が出た時には感動しました。
(それまで結びついてなくて)
そのアドバイスのお話もね。
(詳しくは、創刊号を見てください)
充分にお話が聞けて、解散、
その日の夕方には、メールをいただいたんです。
よろしくお願いします、という内容でした。
イベントが成功するように、と。
こちらからするべきなのに、恐縮し、
返すお返事で、映画『フィールド・オブ・ドリームス』はご存知ですかと伺いました。
私、そのバスケット版をやりたいんです、と。
通じるかな、と思いました。
もし通じたなら、わかってもらえるものがあるんじゃないかと・・・。
知ってますよ、という返事でした。
なるほど、と、
それなら、できることはやらせていただきます、って。
・・・うれしかったです。
さっそくメンバーを集めますね、という返事で、
たしか、翌日にはおひとりめの連絡をいただいたと思います。
酒井泰滋、参戦です。
石田剛規、参戦します。
つづきまして、竹内公輔・・・
メールを開けるたびに、
びっくりするようなお名前が(笑)
涙が出そうになりました。
あらためて、
志村さんの人柄の、
そのあたたかさと強さ、
まわりのみなさんとのつながりの深さを
見た思いでした。
bj も、JBLも。
私この前、たまたま部活がオフになったので、急遽関東大学リーグの最終日を見に行ってまいりました。
土日はずっと忙しかったので、やっと行けた感じです。
イベントに参戦してくれた学生の方々も、みなさんご活躍で、
柱の影から、じゃない(笑) 観戦席の片隅で、その姿を拝見することができました。
慶應の監督先生にも、ごあいさつをさせていただいて。
・・・すべては、
あの時からだったんですよね。
つばめグリルでお話させていただいたときから。
話を続けますね。
イベントの主旨をお話し、お返事をいただいたあとも、
Bさんが来るまでの少しの間、いろいろとお話させていただきました。
ちょうど前日に、仙台89ERSとの契約が決まったばかりで、
何かこう、それだけで、関係のない私まで、心が新たになるような、
もうなんだか無条件に、応援したくなるような、そんな気分でした。
きっと、いろいろな思いをしながら、
進んでいくんですよね。
人間って。
人にはそれぞれ、
見えない力が備わっていて、
この人にはこの人に、あの人にはあの人に、と
役割があるんだと思います。
目の前にいる人は、
それが充分にわかっているみたいでした。
自分が何をするべき人間かということ。
垣根を取り外したいって言ってた。
それができるとしたら、自分かもしれないって。
そのうちに、Bさんも到着して、話は佳境に、
Bさんと志村さんにはわかっていて、
私にはわからない話も多かったのですが(笑)、
佐藤健介さんのお名前が出た時には感動しました。
(それまで結びついてなくて)
そのアドバイスのお話もね。
(詳しくは、創刊号を見てください)
充分にお話が聞けて、解散、
その日の夕方には、メールをいただいたんです。
よろしくお願いします、という内容でした。
イベントが成功するように、と。
こちらからするべきなのに、恐縮し、
返すお返事で、映画『フィールド・オブ・ドリームス』はご存知ですかと伺いました。
私、そのバスケット版をやりたいんです、と。
通じるかな、と思いました。
もし通じたなら、わかってもらえるものがあるんじゃないかと・・・。
知ってますよ、という返事でした。
なるほど、と、
それなら、できることはやらせていただきます、って。
・・・うれしかったです。
さっそくメンバーを集めますね、という返事で、
たしか、翌日にはおひとりめの連絡をいただいたと思います。
酒井泰滋、参戦です。
石田剛規、参戦します。
つづきまして、竹内公輔・・・
メールを開けるたびに、
びっくりするようなお名前が(笑)
涙が出そうになりました。
あらためて、
志村さんの人柄の、
そのあたたかさと強さ、
まわりのみなさんとのつながりの深さを
見た思いでした。