つづきの話、前編
2008.06.19
M(ときどき編集長)です。
前回の日記の予告、なぜ志村さんなのかについてお話します。
6月5日付け「フィールド・オブ。」でも少し触れているのですが、
私の本格的な指導(本気で取り組み始めた、という意味です)は、6年前、息子が中学に入ったときです。
その前からミニバスで教えるお手伝いはしていましたが、あくまでもそれは「お手伝い」の域でした。
自分が時間的に責任を持つ形で教えるというのはその中学の指導が初めてで、
何もわかっていなくてね。
きちんと教える立場になってあらためて、バスケットボールというスポーツを見直さなくてはいけなくなりました。
何を一番に教えなくちゃいけないのか。
自分で根本がわかっていなければ、つじつまが合わなくなって、自分が苦しくなってくるの、
教えながら、感じはじめた。
目の前で練習する子たち、
へたくそなシュート、へたくそなディフェンス、さまにならない構え、足さばきを眺めながら、
どこから何を教えたら、
それがバスケットになるのか。
答えは、
ルーズボールでした。
失敗したり、できなかったり、知らないでやらないプレーの中で、
私にとって、最も見たくないものが、
ルーズボールを追いかけない、という姿だった。
6月5日付けの日記に、TAMAくんにそれを聞く場面が出てきます。
「ねぇTAMAくん、ルーズボールって、どうやって教えたら、(ボールを)追いかけるようになるの?」
TAMAくんの答えはこうでした。
「ルーズボールは、しつこくしつこく言い聞かせて、まずはやらせるしかありません。ルーズボールの大切さは、ルーズボールを追いかけるようになって初めてわかるものだと思います。」
・・・どうですか? この答え。
当時、高校3年生のTAMAくんでした。
実はTAMAくんというのは、私が関わり始めたミニバスのOBなのですが、
私が本気で指導に足を踏み入れようというとき、それならと、ミニバスの代表の方が、TAMAくんのお父さんを紹介してくださったんです。
この人なら、あなたにきちんと指導のことを教えてくれるだろう、って。
その方にお会いして、私が、未熟ながら中学のコーチをしていると告げると、
手伝ってくれるって。一緒にその中学を強くしましょう、と、
とにかく息子を(練習に)やらせます、と言ってくれた。
ラッキーでした。
ご自身も国体の選手でプレー経験があって、指導経験も豊富な方だそうで。
(あとで知ったんですけど:笑)
そういうわけで、息子のTAMAくんが現場で私と一緒に教えてくれて、状況をお父様に伝え、
私はときどき、その方に会って指導のことを問う、という形が生まれました。
ルーズボールがどれだけ大切かを、その方から教わったんです。
そのボールは、自分達のボールだ、と。
ディフェンスをしているときでさえ、相手のボールを奪おうとするのに、
誰のものでもないボールをそのままにして
バスケットが成立するわけがないって。
ルーズボールに飛び込む1本が、試合の流れを変えるときがある。
攻防の応酬で、へとへとになって、あきらめかけて、どうしようもない状態でいるとき、
誰かが果敢に飛び込む、そのルーズボールの1本が、
試合の流れを変え、
再びチームをよみがえらせるのだと、
仲間の闘争心に火を灯し、
チームに勇気をもたらすんだ、って。
この先、いろんな指導者に会うだろうけど、その指導者がルーズボールをどう扱うかで、その人の質が問われるよ、と、
そう教えてもらいました。
折りしも、「高校の試合観戦」が楽しみになってきていた時期でもあって、
恵まれたことに、全国レベルの試合が電車で1時間ほどの会場、東京体育館というところで見られることがわかってね、
ウィンターカップという名のその大会に、
足しげく通うようになるんです。
大切な、「ルーズボール」を胸にして。
ある高校に、ひとり、
私が指導の師匠に教えてもらったことそのままを体現するプレーヤーがいました。
からだ中から湧き上がるような熱気をまとい、
コートを走りまわり、
どんな状況でも、
どれだけ追い込まれて、
どれだけ疲れていても、
ある瞬間に、
まるで
アフリカのサバンナで
生きるための本能で飛び掛る動物のように
ルーズボールに飛び込み、
そのことで、
チームを鼓舞し、
先導する人。
志村、という名前のその選手は、
そのときから私にとって、
目の離せない存在になりました。
・・・長いですよね(笑)
続きは次回。
前回の日記の予告、なぜ志村さんなのかについてお話します。
6月5日付け「フィールド・オブ。」でも少し触れているのですが、
私の本格的な指導(本気で取り組み始めた、という意味です)は、6年前、息子が中学に入ったときです。
その前からミニバスで教えるお手伝いはしていましたが、あくまでもそれは「お手伝い」の域でした。
自分が時間的に責任を持つ形で教えるというのはその中学の指導が初めてで、
何もわかっていなくてね。
きちんと教える立場になってあらためて、バスケットボールというスポーツを見直さなくてはいけなくなりました。
何を一番に教えなくちゃいけないのか。
自分で根本がわかっていなければ、つじつまが合わなくなって、自分が苦しくなってくるの、
教えながら、感じはじめた。
目の前で練習する子たち、
へたくそなシュート、へたくそなディフェンス、さまにならない構え、足さばきを眺めながら、
どこから何を教えたら、
それがバスケットになるのか。
答えは、
ルーズボールでした。
失敗したり、できなかったり、知らないでやらないプレーの中で、
私にとって、最も見たくないものが、
ルーズボールを追いかけない、という姿だった。
6月5日付けの日記に、TAMAくんにそれを聞く場面が出てきます。
「ねぇTAMAくん、ルーズボールって、どうやって教えたら、(ボールを)追いかけるようになるの?」
TAMAくんの答えはこうでした。
「ルーズボールは、しつこくしつこく言い聞かせて、まずはやらせるしかありません。ルーズボールの大切さは、ルーズボールを追いかけるようになって初めてわかるものだと思います。」
・・・どうですか? この答え。
当時、高校3年生のTAMAくんでした。
実はTAMAくんというのは、私が関わり始めたミニバスのOBなのですが、
私が本気で指導に足を踏み入れようというとき、それならと、ミニバスの代表の方が、TAMAくんのお父さんを紹介してくださったんです。
この人なら、あなたにきちんと指導のことを教えてくれるだろう、って。
その方にお会いして、私が、未熟ながら中学のコーチをしていると告げると、
手伝ってくれるって。一緒にその中学を強くしましょう、と、
とにかく息子を(練習に)やらせます、と言ってくれた。
ラッキーでした。
ご自身も国体の選手でプレー経験があって、指導経験も豊富な方だそうで。
(あとで知ったんですけど:笑)
そういうわけで、息子のTAMAくんが現場で私と一緒に教えてくれて、状況をお父様に伝え、
私はときどき、その方に会って指導のことを問う、という形が生まれました。
ルーズボールがどれだけ大切かを、その方から教わったんです。
そのボールは、自分達のボールだ、と。
ディフェンスをしているときでさえ、相手のボールを奪おうとするのに、
誰のものでもないボールをそのままにして
バスケットが成立するわけがないって。
ルーズボールに飛び込む1本が、試合の流れを変えるときがある。
攻防の応酬で、へとへとになって、あきらめかけて、どうしようもない状態でいるとき、
誰かが果敢に飛び込む、そのルーズボールの1本が、
試合の流れを変え、
再びチームをよみがえらせるのだと、
仲間の闘争心に火を灯し、
チームに勇気をもたらすんだ、って。
この先、いろんな指導者に会うだろうけど、その指導者がルーズボールをどう扱うかで、その人の質が問われるよ、と、
そう教えてもらいました。
折りしも、「高校の試合観戦」が楽しみになってきていた時期でもあって、
恵まれたことに、全国レベルの試合が電車で1時間ほどの会場、東京体育館というところで見られることがわかってね、
ウィンターカップという名のその大会に、
足しげく通うようになるんです。
大切な、「ルーズボール」を胸にして。
ある高校に、ひとり、
私が指導の師匠に教えてもらったことそのままを体現するプレーヤーがいました。
からだ中から湧き上がるような熱気をまとい、
コートを走りまわり、
どんな状況でも、
どれだけ追い込まれて、
どれだけ疲れていても、
ある瞬間に、
まるで
アフリカのサバンナで
生きるための本能で飛び掛る動物のように
ルーズボールに飛び込み、
そのことで、
チームを鼓舞し、
先導する人。
志村、という名前のその選手は、
そのときから私にとって、
目の離せない存在になりました。
・・・長いですよね(笑)
続きは次回。
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