Basketball Life

バスケットに生きる、バスケットで生きる

●Home |  ●News & Topics |  ●Magazine & Goods |  ●from M |  ●from B |  ●About Us |  ●Contact | 

SPECIAL Archive企画2 2009WC 明成創部5年目で頂点へ~勝利の方程式~

2014.01.22
続いて、
SPECIAL Archive企画2 2009WC。
創部5年の明成が初優勝にいたるまでの軌跡を追ったレポートです。




明成創部5年目で頂点へ
~勝利の方程式~

写真・文 清水広美

明成集合

明成決勝






明成を率いる佐藤久夫ヘッドコーチにとっては、1999年の仙台高校でのWC初優勝に続いて10年目。国体を含め、通算4回目の全国制覇だ。直後の優勝インタビューで、最初の「ここまで本当に大変でした…」との実感あふれるひとことに、応援席に陣取った1期生、2期生のOBたちがドッと沸いた。けっしてその言葉を揶揄した笑いではない。同じように3年間苦労をともにした彼らだからこそ、どれだけ佐藤コーチが苦労してきたかを一番知っている。

そうだよな、苦労したよな…それに泣いて、笑える日がくるなんて、思いもしなかったことだろう。

会場でその言葉に耳を傾けている観客はそのニュアンスがわからないだろう。今年も明成はいいチームを普通に作ってきたと思っている。ほんの2週間前まで、お互い苦しんで苦しんで、どうやっても出口が見えなかった、なんて思いもしないはずだ。紆余曲折、曲がりくねった迷い道で、栄光にたどりつく一筋の光を見つけた。そんな明成カメレオンが2009年ウインターカップでようやく一皮むけて、初優勝にいたる道程をたどってみたい。



明成ファブ5

さかのぼること5年前、小牛田農林高校で行われたウインターカップ宮城県予選・準々決勝において、明成は仙台と対戦した。

夏のインターハイ予選の初陣は、準々決勝で東北学院に63-79で敗れベスト8に終わったものの、1期生オール1年生だけの戦いで3年生と張り合うバスケットで随所に観客をうならせるシーンを見せていた。明成を率いる佐藤久夫ヘッドコーチにとって、この試合は母校であり前任校との初めての対峙であり、教え子の佐藤剛コーチとの師弟対決でもある。普通の高校で行われた試合としては異例の観客の多さを予測して、高体連は急きょ駐車場スペースを広くして対応に当たったほどだ。

県内はもとより、全国的にも注目を集めたカードには、2重3重と黒山の人だかりができた。ステージ上という異質な場所だけに、私たちの周囲は高校の先生、指導者ばかり。自分の息子を連れてきている人も多かった。その息子の一人がうろちょろしていたのだが、試合後に目を輝かして、
「凄かった! 感動した!」と父親に報告していた。

“明成ファブ5”は、2-1-2ゾーンから始まり、3-2ゾーン、オールコート2-2-1ゾーンプレス。そして、満を持してのマンツーマンは仙台をたじろがせた。この時は68-82と仙台が勝ったけれど、そう遠くない日にこのチームの時代が来る、そんな予感に満ちた試合だった。

「あってはならないこと(1年だけで全国大会出場)を願ってはいけないなぁ。負けてくれることを願っていちゃ勝てない。能代工のどんくさいキャプテンでも存在感のある奴がいたもんな。(今のうちには)それがいなかった。大きい奴をコンバートしてるのに、土壇場でそんな時(流れを変える交代選手としてベンチを)見てしまうのはガード。結局、3ガードになっちゃう。一番信頼してるのは小さいやつなんだぁ」

負けた直後とはいえ、試合とは一転した笑顔で佐藤コーチからはポンポンと本音が飛び出した。


※ファブ・ファイブとははファビュラス・ファイブ(Fabulous5)の略称。「驚異の5人」の意味。NCAA1991-92シーズンにミシガン大がリクルートしたフレッシュマン(1年生)たちの愛称。スターター5人全員が1年でNCAAファイナルに進出した。


創部からの足跡

そんな明成が5年目の挑戦で、ついにウインターカップを制し、高校バスケットボール界の頂点に立った。
その足跡をたどってみよう。

<2005年(1期生1年目)>

IH県予選・準々決勝
明成63-79東北学院
WC 県予選2次予選 準々決勝
明成68-72仙台

<2006年(1期生2年目)>

IH県予選決勝 
明成67-73 宮城広瀬
WC県予選決勝 
明成80-55宮城広瀬
WC初出場ベスト8。準々決勝
明成71-95北陸

<2007年(1期生3年目)>

佐賀IH・準決勝
明成98-104福大大濠
WC 4位 
準決勝 明成84-86 福岡第一
3決 明成62-87能代工

<2008年(2期生)>

埼玉IH・準々決勝
明成92-93北陸
大分国体・2位
決勝 宮城(明成単独)83-92京都
WCベスト8
準々決勝 75-88福岡第一
オールジャパン初出場※2009年1月

<2009年(3期生)>

大阪IH・準々決勝 84-88北陸
WC 初優勝
決勝・明成69-56福岡第一


学校でも模範生の1、2期生

初の全国大会出場は、1期生2年目の冬。1、2年だけのメンバーで鮮やかなパッシングからの展開でベスト8に進出した。メインコートに“M”のユニフォームたちが立った時、

「(コートを照らす)光がまぶしい…」という言葉が印象的だった。一度に何面ものコートが同時進行で行われるゲームとメインコートでは、光とともに観客の目が集中する。そんなコートに臆することなく、その年のインターハイ・チャンピオンである北陸に立ち向かった。翌年はインターハイ、ウインターカップともに準決勝に進出と年々レベルアップ。最後のウインターカップ前に3年間キャプテンの重責を務めた伊藤駿(現青山学院大2年※現日立)が骨折する憂き目にあったが、コートでは存在感を示した。

3年間常にチームをリードした長男的存在である1期生の背中を2期生は見てきた。コートの中だけではなく、学校生活でも模範生と言われた1期生同様に2期生もそんな伝統を受け継いだ。1期生が勝てなかった能代工を上回って東北チャンピオンの座も奪った。さらに、大分国体では、準々決勝・福井(北陸)、準決勝・宮崎(延岡学園主体)にいずれも前半で大差の劣勢からの逆転劇で、初の決勝に進出。U18日本代表でもある石川海斗(※現日立)の“ごぼう抜き”といわれる超速攻だけではなく、中学時代は無名ながら3年間でぐっと伸びた選手が多く出てきた。

また、オールジャパン予選では次々と大学、実業団、クラブチームを撃破、東北1位となりオールジャパン初出場と、成績でも新たな記録を付け加えている。


そして、いよいよ3期生。3男坊が多いせいか、優等生と言われた1、2期生と毛色が違った。

佐藤コーチが自らの弱点とするのは、普段の学校生活が見えないことだ。高校の先生ではなく、現在は仙台大の准教授であるため、大学の授業を終えてから60キロ離れた仙台大から高速道路を飛ばしても練習場である明仙ラボまでは約1時間かかる。卒論の時期になると練習が終わってからまた大学にUターンということもしばしば。それだけに、いつもスタッフや明成高校の先生たちに選手たちの日常をたずねている。

現3年生たちは2年の大分国体まではチームの推進力として上り調子であったが、11月に修学旅行の地・ハワイから帰ってきて早々にカミナリが落ち、評価を落として以来浮上するきっかけをつかめなかった。調子がいいかと思えば、ガクンと失速、上がったり下がったりの日々が続く。


アクシデント

1年から主力ガードの1人として活躍していた畠山(※現・青山学院大)が、2年の能代カップを終えたあとの健康診断で体調不良により、あちこちの病院を回ったものの運動不可能という診断が下された。専門の大阪の病院まで行き“自己責任”ならばという結論が出た。どうしてもバスケットが続けたい畠山は、校長に
「バスケットがやりたいんです」と直談判。

しかし、佐藤コーチは首を縦に振らなかった。
インターハイ前の明仙ラボ(専用体育館)のホワイトボードには各自の目標が書かれていたが、高田(※現・法政大)は
「俊樹をインターハイに連れて行くために頑張る!」と書いていた。

畠山はアシスタント・コーチとして、8月のインターハイ後に毎年行われている明成主催のクローバーキャンプに参加していた。ガードとしての目はコーチとしての才覚も発揮していた。

「どこかであきらめなきゃいけない、と思っていました。自分の代わりになるガードを育てなくてはいけないし。でも、他の人がバスケットをしているのを見ていると、やはりバスケットがしたくなりました」(畠山)

再び一度病院に行き、畠山の場合は、いろいろなタイプがある中でこれまでに症例のないケース、やっても大丈夫かなという結果が出たのが、新チーム最初の大会である私学大会で負けた日。佐藤コーチからも「少しずつやってみるか」とGOサインが出た。ウインターカップ県予選には復帰、本番も出番こそ少なかったがコートに立った。

3年生の大阪インターハイ時には、徐々にプレイングタイムも伸び、高田とともに超速攻の中心となって、北陸戦では37分とほぼフルタイム試合に出られるまでに復調した。9月のやすカップではヒザを痛めるケガをして国体は欠場したが、ヒザ回り、腰回り、上半身のウエイトトレーニングの成果でウインターカップ前にはようやく万全のコンディショニングを整えたことは大きい。


明成記者会見
記者会見にて。村田と畠山。

さらなるアクシデント

実は、インターハイ前は、他にもアクシデントがてんこ盛り状態だった。大会前には高田が盲腸で入院(薬でちらして本番には出場)。さらに、村田(※現・関東学院大)が大阪に向かう途中で体調を崩して、大阪で入院、エントリー変更を余儀なくされた。大会後に退院、国体も本調子ではなかった。今まで、どんな大会でもまともにそろったことはなかった。

それだけに、高橋トレーナー、羽田アシスタント・コーチはウインターカップ前にケガ人が出たり、大流行しているインフルエンザにかからないように人一倍ピリピリと気を遣い、選手に注意を呼びかけていた。そのかいあってか、最後の最後で全員が万全の体調で本番を迎えた。

しかし、日々の練習は相変わらず。11月、12月になり恒例の1、2期生大学で活躍しているOBがやってくるOB戦でも、佐藤コーチの怒声がやむことはなかった。

ただ、卒業するまで3期生は2期生に一度も勝つことはなかったが、今回は勝った試合もあった。「インターハイ前より強くなっているんじゃないか」とのOBの声もあったが、大方の意見は
「いや、まだまだだな」

東京に来てからも、再びOBが集まったが、この試合もダメ。しかし、ただ1人佐藤コーチだけは、想定練習を繰り返すうちに11月末あたりからひそかに手応えを感じていたという。


シナリオ(戦術)の変化

「ゲームをどう戦っていくか、戦略、戦術は例えていうと1本のシナリオに等しい。シナリオがまずあって、シナリオ通りに行くようにするのが日々の練習。さまざまな状況を想定して、何パターンものシナリオを準備していかなくてはいけない」

これが、戦術について佐藤コーチの持論である。もちろん、そのシナリオも魂が込められた頑張る気持ち、自由な発想、選手の良さを前面に押し出したものでなくてはいけない、としている。

今回の場合、その最初に描いたシナリオを書き換えたのだ。
「今までは小型車だったけど、今年はダンプカーバスケット」
と、新人戦時にツインタワー仕様での方向性を打ち出していた。それをWC時には3ガード、1センターに切り替えた。

シュートのフィニッシュはドリブルドライブ系のケースが多くなった。(⑥畠山、⑩高田、⑨安藤(※現・明治大)の)3人を中心にオフェンスを展開という指が出た。困った時には1対1でゴールに真っしぐらに向かう。


「なぜこの3人にしたかというと、練習の中で3対3の中て1対1で攻める。1人が10本続けて何本入ったかを、みんなでチェックした。たまに菊地(※現・日大)が8、9本ということはあったが、宮澤(※現・中大)、村田たちは2本か3本。畠山、高田、安藤は7本、8本と3対3の中で自分の力を発揮することができていた」(佐藤コーチ)

チームの目標を、現状でやれるようなことに変えたことで、選手たちは楽になった。何より
「先生の考えることがわかるようになってから、一体感があった」と、畠山は言う。


“先輩を超える”
“高校生らしいバスケットをする”
という二大テーマをもとに、直前の追い込み練習の時期になってようやく3年生がチームを引っ張っていく姿勢が見えてきた。

「11月の練習で『前から結果は出てないけど、このメンバーなら日本一になれる』と言われました。最後は先生を信じてやりました。結果も出してないのに、ここまで言われて本当に頑張るしかない、恩返しをしたいという一心で」(高田)

「このチームはまだ鍛えている途中。教えていても段々楽しくなってきた」と、
佐藤コーチはようやく一つになった手応えを口にしはじめていた。


山場の延岡学園戦

シードチームにとって1回戦をやっていないことは、大会の入りとしては若干のハンデとなる。

特に、初戦(2回戦)の光泉は9月の練習マッチでインフルエンザにかかった時に対戦したとはいえ、メタメタだった。それだけに慎重だった。しかし、1Qのスコアは29-8とこれまででベストの入り。光泉・寺田コーチもイライラが募る。光泉も必死の追撃をしてくるが、最後はミス多発ながら全員出場で94-75と締めくくった。

明成2長崎西
長崎西戦は田中を徹底マークしつつ、他の4人の得点を封じた。



続く3回戦・長崎西戦。長崎西のエース田中(大貴。※現東海大)には村田がマッチアップ。ゾーンに変え、先手を奪う。宮澤が入りツインタワー仕様になる場面も。安藤のシュートも冴え、菊地の奮闘でリードを広げて、101-75でエリート8進出を決めた。


いよいよ、山場の延岡学園戦だ。
サイズ的にはマッチアップ全員がミスマッチ。ポイントは、インサイドの永吉(※現・青山学院大)とプイを徹底マーク。シューター川元のシュートが入った時は、すかさず攻め返すこと。

明成イコール速いというイメージが定着しているので、気づいた人は少なかったと思うが、ここから決勝までの3試合のオフェンススタイルは、主にディレード・オフェンスだった。勝負所は残り5分ディフェンスからの速攻で一気に勝負に持ち込んだ。

「(ユニチカの)尾崎さんから教わったことだが、こっちの土俵に相手を引きずりこめ。戦略というか戦術というか、相手にのっかっていけば、20点でも、30点でも離れるのは見えている。試合はどんなチームでも相手は強いんだから、相手を自分たちのやりたいことにひきずりこんで、こっちはラスト5分で勝負をかける。相手がそれにのってきてくれた」(佐藤コーチ)

ディフェンスのローテーションの良さ、防御範囲の広さは、今までにない動きを見せた。取ったらもう前を走っている。また、この試合の命運を分けたのはルーズボールだ。畠山がボールにむしゃぶりつく。ボールを失ったと思うと、また奪い返す。すべてはこの連続ルーズボールで、ググッと観客のハートわしづかみ、観客席からは拍手が沸き起こった。ゴールハンター高田はバスケットに積極的に向かい、いつのまにか30得点、畠山、安藤の3人で72点中54点を叩き出している。

リバウンドの数は延学53、明成26と約半分の数字ではあるが、実際はルーズボールにしてとったものや、つついて取ったボールがあるため、その数字は含まれていないはずだ。


“最大の山場”をクリアして、これで1、2期生の先輩たちと肩を並べた。明成のメンバーたちはたくさんのOBがいる応援席に駆け寄り、むせび泣きながら拳を突き出した。

「出発して練習試合もだめで調子も上がらず、このまま試合したら不安しかないと思ったんですけど、試合に入って2日目くらいから1試合1試合集中しなきゃと思っていたのが段々とまとまってきて、光が見えたのは延岡に勝ってから。目標は延岡に勝つこと。延岡に勝ったらもう優勝しかない、と思えた。優勝のイメージが沸いてきた。夜もよく寝れて、試合のことしか頭の中に入らなかったです(笑)」(菊地)


明成大濠戦
ルーズボールから、準々決勝、準決勝は流れをがっちり引き寄せた 


準決勝、決勝

準決勝の相手は、洛南、藤枝明誠を破って勝ち上がってきた福岡大附大濠。意外にも最初から大濠はゾーン。しかし、菊地がスティ―ルからの速攻バスカンを沈め、タイムアウトを取らせる。

いったんは逆転されるも慌てず返す。気迫のルーズボールは今日も流れを引き寄せた。畠山の3P、安藤のジャンプショット、高田がドライブをバスカンで沈め、いよいよ先輩たちの成績を超えた。

決勝は、夏の覇者・福岡第一との対戦だ。初戦でイブラヒマがヒザを負傷するアクシデントがあったものの、やはり勝ち上がってきた。

明成にとっても“最後の関門”が待ち受けていた。開始5分、ボールを取りに行った畠山が2、3と連続してファウルトラブルでベンチに下がる。
思わず、新人戦東北大会・準決勝で開始5分で菊地が3ファウルになったことが脳裏に蘇る。今回は畠山1人が抜けた時に誰かどうという形ではなく、チーム力でカバーした。


「安藤がガードでやれる見通しも立っていたし、逆に前半点差を離して折り返した。杉本(※現日大)、須川(※現・大阪教大)、門田(※現玉川大)と2年3人を入れてこの窮地をしのいだ。

準々決勝あたりから、流れが悪くなったら2年生を5人使ってボール回しをして24秒をフルに使って、落としたらファウルをすることも考えていた。準々、準決と控えの2年生はプレイタイムが0分で気がかりだったけれど、プレイタイムは短いながらあの場面でよくやってくれた。

菊地がポストプレイのみならず、リバウンド3回、インターセプトが3回あった。ボールに対して飛ぶ練習をしていた。人を守っているようで、全部インターセプトを狙っている、それを忠実にやってくれた」(佐藤コーチ)

明成高田
ゴールハンター高田

明成決勝2
決勝・福岡第一戦、唯一2年ながらスターター入りした安藤



後半も拮抗したシーンが続くが、宮澤を投入、ツインタワー仕様となり、福岡第一・園のファウルを誘う。テイクチャージを取ったのは菊地だ。菊地と宮澤のハイ&ローポストの合わせに園が3ファウル目、さらに宮澤がローポストからゴリゴリプレイで園が4ファウルとなった。攻めては、安藤のドライブ、高田のルーズボールから畠山のシュートと3人は絶好調。そしてラスト5分、佐藤コーチがこう叫んだ。

「突撃態勢に入れ!」

すべてはシナリオ通りだった。延学、大濠戦同様に福岡第一もこの終盤の怒涛の展開になすすべがなかった。5分間でわずか1ゴールのみ。69-56と、明成は歓喜に包まれた初優勝の瞬間を迎えた。

しかし、最後まで佐藤コーチは断固として初優勝の胴上げを拒んだ。
そして、1年生を指してニヤリひと言。
「2連覇、3連覇したら、(胴上げを)やってもいいぞ」。


脱皮したカメレオン

明成が目指しているのは、試合の状況に応じて自分たちで判断、プレイを選択できるバスケット、それを“カメレオンバスケット”と称している。

個人の能力を前面に出すことが現在の高校バスケット界の主流であるが、明成の場合はチームプレイの中に個人の1対1の能力を引き出す点が異なる。佐藤コーチが高校の指導者となり、一番最初に見たチームから今まで選手とともに練り上げ、磨きをかげてきたパッシング・ゲームをさらに進化させた。

しかし、技術は進化しても、根底にあるものは不変だ。指導者としての原点は、
「例えばできなかった逆上がりかできるようになる、そんな達成感を味あわせたい」という思いがある。


前年の2期生たちのウインターカップは、準々決勝・福岡第一に食らいつきながらも、勝負所でオフェンスの決定力に欠けた。試合後。先生に何かを言ってもらいたくて、記者に囲まれる佐藤コーチをメインコートからサブアリーナにつながる通路で選手が待ち受けていた。取材を終えた佐藤コーチをぐるりと取り囲む形で話が始まった。

「お前たちは高校生らしさでは日本一だ!」

その言葉に、すすり泣きが感極まって号泣に変わった。
この時、3期生は高校生らしさでも、成績でも日本一の先輩を超えることが、“勝利の方程式”の命題となった。


知られていないことだが、卒業生たちもまた、自分たちが明成で3年間学んできたバスケットのポイントなどを全員で書き出し、1冊にまとめあげて、後輩に形にして残している。

最後まで出口が見えない暗闇の中を手探り状態から光を求め続け、最後の最後に脱皮した明成カメレオン3期生。

初の日本一。
それは佐藤コーチと3期生だけの力だけではなく、明成1期生、2期生とともに積み上げてきた結晶でもあった。


明成OB
1、2期生OBの声援はどこのチームより大きかった

Comment


管理者にだけ表示を許可する

TrackBack

TrackBackURL
→ http://2008bblife.blog43.fc2.com/tb.php/341-27abeb96
Template by まるぼろらいと

Copyright ©Basketball Life All Rights Reserved.