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WC番外編 「届かなかった東京体育館への思い…」

2014.01.23
ウインターカップ2013番外編として、予選で惜しくも敗れたチームの中に、
本大会の出場はかなわなかったものの、できるならば東京体育館で戦う勇姿を見たかった選手がいる。
WCを観客席で見届ける思いを、あらためてその2人に話を聞いた。

文・写真 清水広美


「届かなかった東京体育館への思い…」

桐光学園・齋藤拓実


まず1人目は、桐光学園のエースガード齋藤拓実(さいたうたくみ)。
下級生時からPGとしての才覚を発揮、チームを牽引した。
一昨年の2012WCでは優勝した延岡学園と対戦、敗れはしたものの大会アシスト2位の成績を残している。
名づけて“神奈川のファンタジスタ”。しかし、3年になってからはケガに見舞われる。
足首のじん帯を痛め、腰痛もあいまり関東大会もプレイ時間は制限されていた。その限られた時間でも
ひとたび齋藤がコートに現れると、桐光学園の空気は一変した。


大分インターハイでは明徳義塾戦で破れたが、国体では神奈川選抜の一員として活躍。関東予選の茨城戦ではミラクルプレイで土壇場をくぐり抜け、決勝・千葉戦でもアシストのみならず積極的なオフェンスを見せ、久々の神奈川優勝の原動力としての働きぶり。24年ぶりの本国体出場をもたらす奮闘で、周囲をうならせた。
ちなみに、今年度のプロ野球ドラフト会議の目玉となった楽天・松井裕とは同期でもある。


齋藤2


華麗なハンドラーは、保育園からバスケを始めた


BB いまさらですが、神奈川予選では、決勝でまさかの敗戦でした。惜しくも出場を逃したわけですが、自分でも試合前に(twitterで)一発勝負のトーナメントはあとがないと書いてましたよね。
齋藤「はい。本当に今でも悔しいなという気持ちがあります。見ていても、もしも(自分たちが)出ていたらもっと活躍できていたんではないかなと、考えていました。もっとも予選で負けてしまったので、そういうことを負けてしまった奴がいうのもなんですが、法政大二には頑張って勝ち上がってほしかったです…。

どうしても、今でもWCに出たかったという気持ちはあります。
東京体育館には法政二の応援と、昨日は友達に誘われて見に来ました。
出ているチームはみんなうまくって、自分たちの弱さとか、あらためて実感できました。
複雑な気持ちも少しはありました」


BB 予選は何が敗因でしたか。
齋藤「やっぱり、予選は相当研究されていました。それを上回るプレイとか気力の部分で負けていたような気がします。
自分たちがしたいこことができなかったこともあります。1Qの入りかたと4Qの終わりが悪かった。途中逆転はしたんですけど、相手の応援がすごくて飲まれてしまったり、最後の4Qでは全然オフェンスが機能しなくて、ディフェンスでも簡単に決められてしまったり。最後は逆転されてしまいました」


BB あまり思い出したくはないでしょうが、その瞬間の気持ちは?
齋藤「最初はあまり実感がなくて、試合が終わっても部活に出るはずが次の日から行かなくなったりとか。
そんな感覚は初めてで、“引退”ってことで辛くなったのかもしれません。

そういう行動をとった自分自身に対して、ものすごく違和感を感じました。
試合に負けたのも相当悔しいんですけど、高校3年間の今までやってきたことが崩れてしまったことが一番悔しかった。

この間、何日か練習に出させてもらってたんてすが、今はウインターカップを見たり、大学から出された課題がまだ終わってないので、これからは課題に専念します。身体も作らなくてはいけないし…」


BB そもそも、バスケットを始めたのはいつからですか?
齋藤「ミニバスを始めたのは小学校1年からです。父が(川崎の)柿生ミニバスのコーチをやっていたので。
兄(成城学園大4年)も一緒にやっていて、ずっとではないんですが、保育園の時から何度か参加していました。
父と兄の影響で始めたようなもんです」


齋藤3

齋藤
国体観等予選決勝・千葉戦勝利の瞬間


BB あのハンドリングの巧みさは当時からの賜物なのかな。
齋藤「そうですね。小さいころからハンドリングの練習は父に教わっていました。また、中学のJrオールスターの時も、
ハンドリングの回数を決めて時間を競うドリルを相当やらされていました。そのドリルは、1分前半だと早いほうで、自分は1分10秒とか15秒くらいでした。
自分ではいいとは思っていないんですけど」


BB 桐光学園に進学した理由は
「4つ上の兄貴も桐光学園で、自分が中1、中2のころから監督さんが齋藤の弟ということで知ってくれていました。
桐光の試合を何度か見に行ったりとか、兄貴に連れられて一緒に練習に行ったりとか。夏休みに練習に行って推薦をもらえることができたので、答えを出しました」


BB 桐光学園の3年間を振り返って。
齋藤「1年目はあまりいい結果が出なくって、県のベスト8にも入れませんでした。すごいツライ思いもしました。
2年になって、春から優勝しはじめて、インターハイは東海大三に負けてしまい、ウインターカップはリベンジということで、ベスト8まで行けました。

だけど、最後の最後、自分たちの代で満足いくような結果を出せなかったのが悔しかったです」


BB ケガしたのは3年になってから。
齋藤「4月の中旬です。正智深谷で金沢と練習試合をして、その時に捻挫をしてしまい、それが長びいてしまいました。
今はもう全然大丈夫なんですけど」


BB 印象に残っているのは、関東大会の時です。ケガから復帰まもなくて、恐らく先生がプレイタイムをコントロールしてたんだろうなと思うのですが、齋藤君がコートに出てくると、空気が変わった気がしました。
齋藤「いゃ、自分では…そう思いません(笑) 」


BB 自分では思わないでしょうけど(笑) 見てる人はそう思ってたんじゃないかな。
齋藤「多分2年にはガードらしいガードがいなくって、スピードがなかったり、どちらかというと2番ポジション。
1年のガードもまだ経験が浅くて、だからそう感じられたのでは」


BB 大学では京北のジョー(吉川)と一緒。まったくタイプの異なったガード同士。
齋藤「ジョーとか活躍していて、石原くんと2ガードでやっていて、それ以上のコンビになれるかな、と思ったりします。フィジカルの部分だったり、大学に入って壁に当たると思うので、高校以上の努力が必要だと思います。
ウインターカップや先日のインカレを見ても、それを強く感じました」


BB 来年が勝負の年だし、やりがいがあるのでは。大学ではどんなプレイヤーになりたいですか。
齋藤「そうですね。大学に入ったら、フィジカルの部分だけではなくて、スキルやスピードの部分だったり、体力だったり、トップレベルでも通用するように、しっかりと身につけたい。
先輩を超えられるようなガードになっていきたいなと思っています」




早稲田大早稲田実業・北代智樹


もう一人は、早稲田大早稲田実の北代智樹(きたしろともき)。下級生から早実の主力として内外角をこなすオールラウンダーとしてチームに貢献。昨年は国体優勝メンバーの一員としても、奮闘した。
大分IHで京北が優勝したため、東京のWC出場枠が増えて一気に東京都予選は熱を帯びた戦いとなった。決勝リーグ、早実は八王子、國學院久我山についで3位となり代表権には届かなかった。しかし、出場の可能性が消えたあとも、最後までチームを牽引するリーダーぶりが注目を集めた。



ユニフォームの“W”に秘めた熱き思い


BB まず、東京都予選について。
北代「早実に入って、1年から試合に出させてもらっていますが、3年間ずっと久我山に負け続けていました。
戸坂先生も自分たちの代に期待してくれていました。なんとしても、久我山を倒してウインターカップに出ようとみんな思っていました。

自分がチームの中心となって、得点でも引っ張っていかなければと思っていましたが、惜しいところまではいつも行くのですが、最後の最後で“惜しい”で終わってしまいました。結局、勝てなくてこのウインターカップに連れてくることができず、責任を感じています。先生にも申し訳ないなという気持ちでいっぱいです」


BB インターハイで京北が優勝したことで東京の枠が増えたことはどう受け止めましたか。
北代「八王子にはセネガル人のスレイマン君がいて、僕たちは小さいチームなので、八王子に勝つということは相当困難なことです。
だから、京北が出場枠を増やしてくれて、久我山と最後の勝負ができる。全国の舞台が近づいたことでチームみんなで盛り上がりました。やる気とかモチペーションが一気に上がりました」


BB その勝負の久我山戦は決勝リーグの2戦目。確かにいい試合でしたが、ラストの実践学園戦ほどの気迫が出ていれば…とも感じました。
北代「自分も、実践との試合は3試合やってここまで負けている姿しか後輩たちに見せてあげられませんでした。八王子、久我山と連敗して、久我山に負けた日はみんな意気消沈してしまって、明日本当に大丈夫かなと思うぐらいでした。

そこで、自分は頼れる背中を後輩に残してコートを去らないといけない、という気持ちが強かったです。最終日は気持ちを切り替えて、最後の最後だったので、本当に暴れてやろうという気持ちでやれました。
気持ちの部分でプレイができたかなと思います」


BB あの試合は、一人で44得点と気を吐いたわけですね。
北代「はい(笑) 自分としては高い得点です。予選のベスト8決めあたりではたまにそのぐらいのスコアはあるんですが、実践戦では前も20点も取らせてくれませんでした」


都予選
東京都予選閉会式


BB そもそも、早実に進学した理由は?
北代「中学の時から早稲田大のバスケットに憧れていて、早稲田でやりたいなと考えていました。
大学のあの“W”のユニフォームを着て、試合に出たいなと」


BB 東京で全国に出たければ、いろんな選択肢はあったと思うけれど。
北代「強いチームに行くと、京北とか久我山とか対戦する機会がなくなると思って。自分はそんなに強いチームに行かずに、倒すほうでプレイしたかったから。
自分の力で、そいつらを倒して全国に行くという青写真を描いてました」


BB 早実から早稲田大には進学率も高い。
北代「90パーセントは進学していますね。でも、バスケットを続けるのは1学年2、3人しかいないです」


BB その倒そうと思っていたチームの選手たちとも大学では一緒になる。
北代「そうですね。今こうやって全国でいい試合を見せてくれる仲間と、今度は自分もこういう舞台に立ってやるということが楽しみですし、早く大学に行ってリーグやインカレの舞台で活躍できるようになりたいです」


BB ウインターカップはほとんど毎日観戦している?
北代「1年からかなり来ています。今年は特に国体で京北や久我山は一緒に全国優勝を味わった仲間が、頑張って東京の名を全国に轟かせてくれています。自分は予選で負けて悔しいんですけど、その分あいつらなら負けて引退でも仕方ないかな、と。最近は逆に東京のチームとやれて誇らしいとも思っています」


BB しかも、ベスト8に3チームとも入ったし。私の記憶では、安城IHで東京がベスト4に3チーム入ったのが最高だとは思います。
北代「3チームのどこかが優勝してくれれば、が今の希望です」


BB 高校3年間を振り返って。
北代「先生がたがみんな期待していてくれていて、自分は1年から使ってもらっていた身だったのに、先生を全国の舞台に立たせてあげられなかったことが悔いが残ることです。早実にきて、もともとメンツがそろわない学校といわれていて、その中で東京で最後の最後まで勝負できてうれしかった。
応援してくださった方にも感謝しなくてはいけないと思っています。


早実のバスケットは型にはまらず、セットメニューもフリーで自分たちで考えてやらせてもらっています。
なので、自分たちで考えてメニューを決めてやってきました。強いチームだと、先生が決めてやっていますが、そういう意味では自由にやらせてくれたので、その点とてとも感謝しています。
その分、他のチームなら経験できないような経験ができて、3年間とても充実していました」


早実
東京体育館にて

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