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日本学園 大浦博信コーチ逝去。最後の最後まで… 追記とともに、奥様の言葉全文掲載

2017.12.08

日本学園・大浦博信コーチ逝去
「最後の最後まで」


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平成29年12月3日夜、日本学園バスケットボール部
大浦博信コーチが天に召されました。享年42才、早すぎる旅立ちです。



12月8日、お通夜にうかがい、大浦先生と最後のお別れをしてきました。
ライターの小永吉さんと待ち合わせしていた最寄の千歳船橋駅の改札口にはそれとわかる人たちが
たくさん同じように集まっていました。Nのマークの日本学園のエナメルバッグを肩にかけた集団が
「南口だ」と同じ方向に向かって小走りに向かう姿も見かけました。


さらに、斎場の東京メモリアードに着くと、それはそれは多くの人・人・人で埋め尽くされていました。
大浦先生のお人柄、存在感を物語っていました。バスケットボール部、中学、高校の教え子に限らず、
OB、父兄、バスケットボール関係者の姿も多く、日体大関係者、東京都高体連の先生がたもたくさんいらしてました。
多くの弔問者の中で頭一つ抜きん出ていたOBの一人、ビッグマン土井君の姿を見つけるのは容易でした。
私が偶然訃報を知ったのは土井君から。
大浦先生の故郷・仙台からも、恩師で現在は明成高校コーチである佐藤久夫先生をはじめ仙台高校関係者が
早くから会場入りして日帰りすると、中学生の父兄が並んでいたところにやってきて、教えてくれました。。



祭壇にはボーダー柄のシャツを着た元気いっぱいの大浦先生の写真が笑っていました。
会場の一角、お清めの場には日本学園が出場した関東大会、ウインターカップ当時の写真、似顔絵、着用していた
ウエア、シューズが並んでいます。
お清めの場には、2015ウインターカップ、弘前実業戦のビデオが流れていて、その前でずっと立ち尽くしている方の気持ちがひしひしと伝わってきます。
「早すぎるよ…」



奥様の礼状にまた泣かされました。
(※全文掲載許可をいただきました。ありがとうございます)

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「幸せな日々をありがとう」
~絆の糸はこれからも結ばれたまま

バスケットボールに自分のすべてを注いだ人生。
そう表現していいほど、夫は力を尽くしてまいりました。


そのスポーツに出会ったのは、確か小学生の頃だったと聞いたような気がします。
以来、中学・高校と進学してからも続け、教員の道を選んでからも“指導者”としてバスケットボールに携わりました。


自身が高校生の頃、全国大会に出場して知った喜びを“教え子にも味わってほしい”と思っていたのでしょう。自宅で試合の
映像を何度も見つめては、それをもとに新たな作戦を練ったり、個々への指導方法を考えてたりしたのだと思います。


こうと決めたら譲らぬ芯の強さが、生徒さん方にも伝わったのか、二年前にウインターカップへの出場を決めたときには、
沢山の方が自分のことのように喜んでくださいました。隣でずっとも願い続けてきた私も、言葉にならないくらいの嬉しさを噛みしめたのは言うまでもありません。

高校時代の恩師は、夫にとって憧れの存在でした。
「いつかは同じ舞台で立って戦いたい。そして、握手をするのが夢。ひれまでは倒れられない」と口にしていました。
対戦はかなわなかったものの、ともに全国大会に出場できたことは何にもまさる喜びです。

夫 大浦博信は、平成29年12月3日、満42歳にて生涯をとじました。
「結婚できて良かった。私は本当に幸せ者です」
そう伝えて、一緒に過ごした日々を抱きしめて生きていきたいと思います。


人生の途上で出会い、支えてくださった皆様へ深く感謝申し上げます。本日はご多用の中、ご会葬をいただき
誠にありがとうございました。略儀ながら書状をもってお礼申し上げます。


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私が大浦先生に初めて声をかけたのは、仙台高校体育館でした。
チームの主力、スターターとして活躍していましたが、高3のインターハイ直前に前十字じん帯切断というアクシデント、最後の年を棒に振ってしまったのです。ケガをしたあと、指導者の道を恩師である佐藤久夫先生に志願。後輩の指導、勉強とともに毎日体育館にいました。
そして、1浪の末翌年には日体大へ進学しました。学生時代から日本学園に学生コーチとして通い、卒業後に保健体育教員として赴任されました。



仙高で同期のシューター相澤義政さん(現在・順天堂大女子ヘッドコーチ)はこう証言します。、

「多分、仙台高校に残ったあの1年で久夫先生とともに過ごして、指導の道に目覚めたのではないでしょうか。
日本学園の垂れ幕も仙台高校と同じ“心技一体”でした。その思いを継いで、
僕ももう1回順天堂大で頑張りたいと思います」


日本学園のある明大前には、東京ではありえない仙台の風が吹いていたようです。
東京都高体連の先生はこう話します。

「日本学園は明らかに他の東京のチームとは一線を画していました。
とにかく、鍛え抜かれているんです。だから、最後まであきらめない精神的な強さを感じました。
大浦先生は、これからの東京を背負っていくコーチだと思っていました。
それだけに本当に残念です」



かつて仙台高校がウインターカップ出場のために東京に来るたびに、日本学園は練習会場になっていました。
その練習を部員がステージに全員が腰をかけて見学していました。
初めて195㎝オーバーの選手、あの土井君が入学する前のウインターカップでは、試合の合間にこっそり
「こういう選手が入るんですよ、ようやく全国に向け勝負できます」
と教えてくれた時の力強い瞳は今でも忘れられません。

そして、2015年のウインターカップ初出場。東京都予選の時には、逐一恩師から
「今、どうなってる?」
と電話がかかってきました。初めての全国大会出場が決まった時には
「良かった良かった‼︎ 自分のことのようにうれしい」と、恩師は声を弾ませました。



本番のウインターカップの時にはコートサイドで観戦。実はこの時、病魔に襲われていたことは一目瞭然でしたが
そのことに触れませんでした。でも、今だから言えるのですがご自分でカミングアウトされました。
もちろん、それを原稿で触れる必要性はないと思いました。
と、同時に屈強なバスケットにかける情熱で病魔に打ち克ってほしいという希望と多大なる期待をかけていました。



奥様の文に出てくるように、いつか恩師と対戦をしたい、そして握手をかわすのが夢だという話は何度も聞いていました。
今年の夏は宮城のお隣・福島インターハイを狙っているという話も聞きました。
日本学園はベスト8決定戦で62-66で八王子学園八王子に敗れました。
東京都男子は、ウインターカップはベスト8のチームで争うため、同時に冬の切符からも遠ざかってしまいました。


この秋、先生をとりまく状況は一進一退を繰り返していたそうです。
体調が悪い時でも「試合に行かないとダメだ」と自らを鼓舞して奥様の手を借り、体育館に駆けつけることも。
元気な時は、練習にも姿を現し車椅子からマイクを持って3時間もの指導に当たったのたとか。

新人戦第一支部では優勝しました。状況を聞く限り、凄いと思うのですが
「いや、これからが本番」と、その目は全国での勝負を見据えていました。
まさに、最後の最後まであきらめないという自らの身上そのものでした。


壮絶なるバスケットボール指導人生。
夢半ばにして天国に旅立ったのは、とても無念です。
その遺志を、日本学園バスケットボールの皆さんに受け継いでほしいと思います。



※写真は出口で許可をいただき(多分OBで私たちのことも知っていたと思います)
撮らせていただきました。

写真
N.jpg

写真3

写真2


最後の写真は、叶わなかった恩師との対戦でしたが、
昨年の夏、明仙バスケラボで行われたキャンプで
恩師佐藤久夫氏、台湾・松山中高・ローマン氏とともに撮った一枚です。

※追記 佐藤先生とは会場でお会いできませんでした。日学中学生の中に知り合いの息子さんがいて、
その兄が明成の選手です。葬儀には兄も来ていました。会場にぎっしり詰めかけた弔問者を前に
兄に向かって先生はこう言ったそうです。

「見よ、大浦の人柄が人を集めた」

戒名には、“博籠” “徹心”という文字が並んでいました。名前の一文字と籠球(バスケットボール)の文字。
告別式でも、バスケ一色。日本学園の校長先生、ご友人代表、前キャプテンと、現キャプテンが弔辞を
読まれたそうです。



大浦先生のご冥福を心よりごお祈りします。
合掌

清水広美


大浦博信
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