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インカレレポート2 故・小林平八(中京大監督)が託した20年前の約束

2017.12.06
インカレレポート2 
故・小林平八(中京大元監督)が
ルーキーに託した20年前の約束


早稲田戦
早稲田大18森井をマークする51粂


 中京大はかつて、小林平八監督の下1963年から1990年にかけて東海学生リーグ28連覇という大記録を打ち立てた。
それが1991年に愛知学泉大によって途絶えた、学泉大が優勝その後2005年まで15連覇を数えた。
中京大のインカレ最高成績は、1997年の土田 亨キャプテン(能代工。現在は横浜で高校教員)の代に決勝リーグ入りした4位だ。翌1998年、小林平八氏が亡くなった。

 
 亡くなる1週間前、当時愛知工大名電から入学したてのルーキー松藤貴秋が小林監督の部屋に呼ばれ、こう告げられた。
「お前が舵を取れ!!」

 それがどういう意味かはなんとなくわかったものの、なぜ入学したての自分に白羽の矢を当てたのか。松藤はずっと考えていた。大学4年時にはキャプテンを務め、西日本学生準優勝に導いた。地元・神奈川県の教員採用試験に受かり、
伊勢原市で中学校の教員となった。同時に、学校の許可を取り無報酬で埼玉ブロンコス、豊田通商とプレイも続け、2足のわらじをはいていた。その後大学院に通い、2008年中京大にコーチ着任、2013年から部長・監督となった。9年目の今年、ようやくベスト8入りを果たした。

 ベスト8入りを決めた早稲田大戦のゲームプランはこうだった。

「(早稲田のPG)18森井君のところからどれだけアシストをださせないようにするか。
やられていいところと、そうじゃないところをハッキリする。
7石原君も怖かったんですが、最後は他の選手を輝かす森井君だと思っていた。森井君が生きてくると脇役までやられてしまう。
逆にサイズが小さくなった分だけやりづらかった。センターの26富田君が出てくると思っていたので、準備をしていた。
8新川君とか27濱田君が出てきたほうがやりづらかった」(松藤監督)


予想外に途中で点差が開いたものの、最後早稲田にまくられてアップアップ。
リードしたことで逆に焦ってしまった。
「東海リーグでもそんなにリードできない(苦笑) 逆に受身になってその点数を守りに行ってしまった。
ほとんどボード使わず、気持ちのことばかりを指示していました」
結局、66-58でアップセット、ベスト8入りを果たした。

中京大のチームビルディング

東海リーグも昔に比べ様変わりしてきている。留学生がいるチームも多くなってきた。
しかし中京大に、背の高い選手はいない、もちろん外国人もいない。
ディフェンスをコツコツやるのは当然で、あとはボールをみんなでシェアしてパスを回す。
誰か1人でやるのではなく。44伊藤が中心にみんなでボールを動かす。インサイドアウトのバランスを使いながら、
「地道にフリーを作って積み上げていく。ずっとやってきたことです」


今年のよさは、2・3・4年のバランスがいいことをあげる。
試合に出てない選手もたくさんいるが、彼らたちが一生懸命練習、下級生の面倒を見る。

「去年名古屋経大が8強となり、久々にシードを東海リーグにもたらしました、
そのシード権を守れたので、東海学連理事長としてもうれしい。プレッシャーかかってました(笑)
もう一つ勝つと、東海学連にインカレ出場枠が増える。
それは地方にとってくるとめちゃくちゃうれしいこと。
欲を出したい。選手はみな頷きました。
オールジャパンがあったら、正月までできるという話ができたんですけど。
今年からインカレ枠がないから、最終日までユニフォームを着れるけど、次も欲を出そうと。
神奈川大だってやった。俺たちもやれる。

今年のチームは、4年2人に下級生がどうからむか。
下級生がミスしても思い切ってやっていいぞと許してくれる4年がいました。
数年前のほうが能力の高い年はありましたし、そっちに期待していた」と言い切る。
松藤自身が余裕が出てきたのかもしれない。


大型選手がいるチームを想定してやってきた。
地方のチームの頑張り。そのために大学の教員になったようなものだ。
当初、大学に戻るつもりはなかった。戻ってからは、
「何とか関東中心の学生バスケット界に一石を投じたい。
それがなくなってしまうと、意味がないと思っている」


2人のキャプテン

ゲームキャプテンの44伊藤はバスケットで引っ張るタイプ。
チームキャプテンは、81木島。コート以外の部の規律とかチームをまとめてくれる。
役割分担ができている。調整役だ。

 チームキャプテン(部長)の木島は言う。
「僕としては、キャプテンと部長の違いは何かと考えました。
キャプテンはバスケットのこと、試合のことだけを考えてくれれば、チームを引っ張ってくれればいい。
部長はそれを影で支える。
大和(伊藤)がストレスになることは全部自分がやる。それでチームのプレーが底上げされるならやっていきたいと思いました。
去年のリーグが終わってすぐ、来年どうする、という話になって決まった。


この1年、充実して早かった。毎日、自分がやらなくてはいけないことを探していました。
自分しかできないことをやるようにしていました。
全員が気持ちよくプレーできるように。それがやりがいでした。
言葉じゃなく、行動で示せればいい。

部員が乗る大きな船の舵は松藤先生が取るんですけど、
僕らクルーがどうつながるかも大事だと思って、僕が中間にいて学生と先生の距離が近くなって、
今、チームの雰囲気がいい。

一口にベスト8といっても大変です。
うれしかったけど、まだ引退じゃなくてバスケができるんだという喜びがでかかったです。
強くなったのは東海で競いあえたから。シードも名古屋経大のおかげです」(木島)

杉井、部長
センター笹井、ベンチの端に木島は陣取る


ゲームキャプテンの伊藤は、
「学校面では木島にやってもらって、申し訳ないと思っています。
自分はバスケットの面だけ。試合で流れが悪かったら、ディフェンスで守りきれていないところ、
集中できていないところを僕は喝を入れていきたい」と、語る。

2人のキャプテンの仕事は、松藤が4年のキャプテン時にやっていたことを分担しているような気がする。
それぞれの良さを引き出して、なおかつまっとうさせたことが成功につながった。

大和


意識改革
今回、中京大のがたいの良さが目を引いた。スレンダーな伊藤以外はみないい身体をしている。
全員でトレーニングやらない時も個人でトレーニングして意識は前より高まっている。
特に、新潟商時代は控えだったスモールセンター30笹井はがたいを生かしたプレーにとどまらず、絶妙なアシストも見せる。

「率直にうれしい。去年インカレに出れなくて、1年間積み上げてきました。
ディフェンスから。ウエイトもたくさんやって、“基礎から作り直そう”と始まりました。

自分の取りえは、センターとして背は高くないんですけど身体を張ったプレーとか、中でも器用にやれること」と、
笹井は胸を張る。

「東海リーグでも年々留学生が増えてきて、名古屋学院1年の王とかはフィジカルが強くて技術も高い。
関東のチームも身体が強いので当たりが強いので日頃から意識してやっています。
早稲田戦の勝因は、ベンチもスタンドの応援席も一丸となって戦えたこと。
それが後押しとなった」と、言う。



松藤2

「お前が舵を取れ」

あの時の松藤は大学1年、18歳だった。普通の監督ならば、ルーキーにチームの命運を託さない。
さすがは小林監督、先見の明の鋭さに脱帽だ。
その思惑通り、次代に継承された。

「20年かかりました。もう38歳。教員として戻ってくるとは思わなかったですけど、
大学に戻って9年。長かったなぁ。やっと勝てました。

過去選手はもっと今よりもいい選手がいましたけど、なかなか勝てなかった。
僕自身がその目線に行くまで時間がかかったのかもしれない。
変に関東のチームばかり意識したし、変に自分たちの足りないことばかりを求めていた。
リクルートも、時間がかかりましたが高校の先生がいい選手を送ってくれてありがたいです」
松藤監督は、選手に、高校の監督たちに感謝する。


天国の小林平八・元監督は今大会の中京大の躍進をどう見ているだろうか。

西日本準優勝は大学4年時の2001年、監督として2014年の2回。
東海リーグ制覇は2014年。24年ぶり29回目のリーグ王座奪回だった。
今年インカレベスト8。

おそらく、眉毛をぴくりともせずに、ニヤリ一言。
「まだまだだ!」

51人の部員を乗せた中京大の新たな船出は、舵を切ったばかりだ。

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